前田 拓 プロフィール
世界40か国以上に抹茶はじめ日本茶類商品を販売してきたMaeda-en USA創業者・前社長。抹茶アイスクリームや抹茶ラテ等を初めて創作・商品化し、世界と日本へも提案してきた抹茶クリエイターです。
前田は1956年、長崎市内中心部に位置する眼鏡橋(日本三大名橋、現存最古のアーチ型石橋。国指定重要文化財)そばにあった日本茶卸販売商家の次男として生まれ、磨屋小(現諏訪小)、桜馬場中、長崎県立南高を経て、慶応義塾大学商学部にてマーケティングを学び、在学中に米国East Texas State University留学。帰国後「無茶‐お茶の将来へのCrisis WarningとAgir-Productによる存続と成長に関する考察」をテーマに卒論を執筆。東京での大学生と社会人生活の約10年を経て、自らの「卒論」をミッション(“21世紀オチャ新文化の創造”、その内容は “お茶の新しい美味しさの創造、お茶の新しいカタチの創造、お茶の新しい豊かな生活シーンの創造” というもの。それを成し遂げることで、千年以上続いている日本を代表する伝統文化のお茶に新風を与え、21世紀も高い価値ある日本茶として生き残らせることをめざすもの)に掲げて脱サラ渡米して米国法人を創業し、41年間一途に道を拓き「21世紀抹茶革命」の今日を創ったアントレプレナー(entrepreneur=起業家)。米国ではテキサス州ダラス市とカリフォルニア州ニューポートビーチ市などに合計41年居住し、ミッションの貫徹に精魂をかけてきた結果、抹茶は世界に広がり、今では抹茶ブームの仕掛け人とも呼ばれています。
今や“MATCHA”として世界語となった日本の伝統文化である抹茶の革新は、抹茶アイスクリームと抹茶ラテの世界への広がりが発端であり、21世紀型のライフスタイルにフィットする日本茶をめざして長年米国はじめ世界市場の開拓と研究開発をたゆまず続けてきた成果でした。
| 1984年 | 米国テキサス州ダラス市にMaeda-en USA(G. T Japan, Inc.)創業 |
|---|---|
| 1989年 |
カリフォルニア州アーバイン市に本社移転 海外初の日本茶専門店をロサンゼルスに開店 |
| 1992年 | ロサンゼルス2号店、ニューヨーク3号店オープン、多店舗化を図る |
| 1993年 | 世界の“MATCHA”にすべく、抹茶アイスクリームを開発・製造、全米へ販売 |
| 1995年 | 日本へ抹茶アイスクリームを逆輸出し、その後、世界に広がる |
| 1999年 |
世界初の抹茶カフェを開店し抹茶ラテを初メニュー化。その後、世界に広がる 抹茶もちアイスクリームを開発・製造・販売開始。その後、世界に広がる |
| 2001年 | 抹茶カフェのバージョンアップを図り新店舗オープン、メディア取材多数 |
| 2010年 | 欧州(英国、フランス、ドイツ)とオーストラリアで抹茶アイス製造販売調査 |
| 2011年 | オーストラリアで抹茶アイスクリーム製造販売事業を開始。全豪で販売 |
以上など41年間絶えず果敢にクリエイティブに抹茶を広め高めてきた21世紀型抹茶・日本茶創造のパイオニアです。ハーゲンダッツの抹茶アイスクリームもスターバックスの抹茶ラテもMaeda-en前田拓による開発と販売がきっかけとなり、それらは前田以降の販売開始ですが、それらの拡販の助けもあって、日本の抹茶が世界の“MATCHA”となり、前田拓は「21世紀 抹茶革命 成る」と表明し、満足して創業41年を機にビジネス界を引退しました。
現在は長崎市に居住、日米往復と世界各地を訪問し、「長崎の未来を拓くDNAプロジェクト(Dynamic Nagasaki Assistance)」を提唱し、「長崎 若者 未来」をテーマに掲げ、私財を投じて長崎での非営利事業に没頭しています。
米国カリフォルニア州ニューポートビーチ自宅にて
2025年9月5日放映TBSテレビ「Nスタ」から